私のおじいちゃんとおばあちゃん。

私のおじいちゃん、おばあちゃんは明治生まれ、おじいちゃんは頑固で有名で親戚の人も家に来る前に電話をかけてきて「おじいさんのご機嫌は?」と聞いて来たそうです。

そこで「今日は機嫌が良くない」と言うとすごすごと帰っていったそうです。

そんなおじいちゃん、若い頃は大工さん。

家の造作や棚などを作ったり、彫刻もしていました。昔ながらの職人肌でいまだに大工道具などが残っています。92歳で亡くなるまで病気一つせず、亡くなる十日ほど前からでもトイレは自分で行くと言って聞きませんでした。おまるやおむつも用意していたのに絶対に嫌だと言って伝い歩きで自力でトイレに行っていました。

ある晩、起きれないのにトイレに行くと言って聞かないのでオマルを持って来て「僕が代あげるからここにしよう」と言うとどうしてもトイレに行くと聞かなかったけど、無理やり抱き上げてオマルに座らせ「大丈夫、オマルはあとで掃除するから心配しないでここにおしっこして」と言いましたが、どうも嫌と言っていたが観念したと見えておまるに用を足しました。

すると急に力が抜けてす〜っと眠るように力が抜けて行きました。

その瞬間、おじいちゃんは私の腕の中で息を引き取りました。

そんなおじいちゃんを支えたのがおばあちゃん、とても厳しい人でしたが優しいおばあちゃんでした。そのおばあちゃんは72歳でガンで亡くなりました。

全く痛みを感じず、毎日布団の中で冗談ばかり言って周囲を笑わしていました。

おじいちゃん、おばあちゃん夫婦には子供が出来ず、親戚から養子を貰いました、男の子というう約束だったのに、貰ってきた子は女の子だったので親戚の仲が悪くなり「あいつらに騙された」とずっと言い続けていたのがいまだに笑い話に残っています。

もし、約束通り男の子を貰って来てたら私と言う存在はなかったのです。

そして私のと父親も養子だったので、親子夫婦が直接血が繋がっていない家庭は水臭いものでおじちゃん、おばあちゃんは保険には一切加入しなかったのです。

おじいちゃんと父が仲が良くなかったので「保険なんかに入ると死ぬのを待たれる」と言うのが口癖だったのです。

そのおじいちゃんの顔は「嵐寛寿郎の野木大将」のような顔立ちだったのを思い出します。